――人が力を発揮する場所を考える
得意なら、それは強みなのか
「あなたの強みは何ですか」と聞かれたら、何と答えるだろう。人より上手にできること。長く経験してきたこと。専門的な知識や技術。そう考えるのが普通かもしれない。
けれども、本当にそれだけなのだろうか。長く同じ仕事をしていれば、人より上手にできるようになることはある。それでも、その仕事をするたびに消耗している人もいるだろう。反対に、まだそれほど上手ではないのに、失敗してもまたやりたくなり、気がつけば急速に上達していることもある。では、好きなことが強みなのかといえば、それも単純ではない。好きで続けていても、それが仕事として成果につながるとは限らない。
得意であること。好きであること。どちらも強みと関係はありそうだが、どちらか一つだけでは、どうも説明しきれない。
「人は、なぜある仕事には夢中になるのか」では、学生時代の研究、会社員時代の実験装置の開発、現在のプログラミングという、自分が夢中になった経験を振り返った。そこに共通していたのは、分からないことがあり、自分で考え、仮説を立て、試し、結果を受け取り、また考えるという循環だった。
ところが会社員時代をさらに振り返ってみると、私は実験や装置開発とはかなり違う仕事にも夢中になっていた。新しい事業をつくろうとして、全国を駆け回っていた時期である。
まったく違う仕事の中でも同じように力を発揮していたのだとすれば、強みとは「何の仕事が得意か」だけでは捉えられないのではないだろうか。
何に気づくかにも、強みは現れる
私が勤めていた会社には、水添技術や粉体製造技術など、いくつかの特徴ある技術があった。入社して間もないころから、私は不思議に思っていた。これだけ特殊な技術を持っているのに、なぜそれを使って自社で新しいものをつくらないのだろう。
学会へ行かせてもらうと、その思いはさらに強くなった。研究発表を聞き、人と話していると、「こんなことにも使えるのではないか」「あんなものもつくれるのではないか」と次々にアイデアが浮かんだ。それをレポートにまとめて提案しても、最初はなかなか動かなかった。それでも、やがて当時の社長の目に留まり、新規開発に関わる技術部門へ異動することになった。
しかし、工場で日々の仕事をしながら新規開発を進めるのは難しかった。新しいものをつくるには、新しい情報がいる。工場の中にいて入ってこないのなら、自分から取りに行けばいい。そう考えて、東京の本社へ行かせてほしい、新規開発をやらせてほしいと頼んだ。入社から7年ほどたったころ、本社へ異動した。
そこで大きなテーマの一つになったのが、会社の技術を生かした機能性樹脂の開発だった。しかし、最初から「これをつくれば売れる」という答えがあったわけではない。何をつくるべきなのか、その答え自体を探すところから始まった。顧客を訪ね、研究者に話を聞き、特許を読んでは発明者にも会いに行った。「機能性樹脂」という広い言葉を手がかりに人に会う。そこで新しい言葉を拾えば、今度はそれを手がかりにしてまた別の人に会った。
すると、ばらばらだった情報が、少しずつ同じ方向を指し始めた。
別々の人の口から、ある同じ化合物の名前が出てくるようになったのである。「ん? この化合物、もしかすると世の中で求められているんじゃないか」。そう思って今度はその化合物を軸に話を聞いていくと、「ぜひ欲しい」という顧客が現れた。市場になる可能性も見えてきた。国内の大手化学会社とも具体的な開発を進め、やがて社内でもプロジェクトになった。
ここでしていたのは、単に情報を集めることではなかったのだと思う。多くの情報の中から繰り返し現れるものに気づき、そこに意味があるのではないかと仮説を立て、さらに現実へ問い返していた。
同じ情報を集めても、すべての人が同じものに気づくとは限らない。だとすれば、強みは「何を知っているか」だけではなく、「何に気づくか」にも現れるのではないだろうか。
違う仕事の中に、同じ自分が現れる
新規開発は面白かった。最初は何も見えていなかったのに、人に会い、情報を集め、仮説を立て、また人に会っていると、霧の中から輪郭が現れるように、何をつくればよいのかが見えてくる。さらに私は、一つの製品だけではなく、その用途に必要な原料を次々につくる会社へ変わっていけるのではないか、と考えるようになった。
いつの間にか、一つの製品ではなく、会社の未来そのものを考えていた。
研究室で実験することと、全国を回って人に会うことは、表面的にはずいぶん違う。一方は研究であり、一方は営業にも近い仕事である。ところが、自分がそこで何をしていたのかを少し抽象化してみると、奇妙なほど似ている。
学生時代には、仮説を立て、実験し、結果を見て、また仮説を立てていた。装置開発では、こうすればうまくいくのではないかと考え、装置を組み、結果を見て改良した。新規開発では、市場にこんな需要があるのではないかと考え、人に会い、その反応から次の仮説をつくった。今のプログラミングでも、考え、書き、動かし、結果を見て、また直している。
仕事の名前は違う。けれども、その中で使っている自分の力は、案外同じなのかもしれない。まだ答えのないところへ入っていく。散らばっている情報から何かを見つける。仮説を立て、現実に働きかける。返ってきた反応から次の一手を考える。そして、まだ存在していないものを少しずつ形にしていく。
異なる仕事の中に、繰り返し現れる「その人なりの力の使い方」。
私は、自分の場合、それを「開発思考」と呼んでもよいのではないかと思っている。そして、その先にまだないものを思い描くという意味では、「未来思考」と言ってもよいのかもしれない。
そう考えると、「化学が得意」「営業が得意」「プログラミングが得意」というのは、強みそのものというより、強みが現れた場所の名前なのかもしれない。職種が変わっても繰り返し現れる考え方や動き方の中に、その人の強みを探す手がかりがある。
求める側から、与える側へ
新規開発をしていたころは、とにかく忙しかった。人に会い、ときには1泊2日や2泊3日で出張する。せっかく遠くまで訪ねても、ほとんど何の情報も得られないこともあった。それでも次の人に会いに行った。大変だった。それでも楽しかった。
あるとき、一人で酒を飲みながら仕事のことを考えていて、ふと気づいた。
そういえば、給料のことを考えていない。
会社員なのだから、給料は大切である。生活するためにも必要だし、仕事に見合った報酬を受け取ることも当然である。これは「給料などどうでもよい」という話ではない。自分でも驚いたのは、関心の向きがいつの間にか変わっていたことだった。
会社から何をもらえるのかではなく、何をつくれるのか。顧客に何を提供できるのか。この技術を使って会社をどう変えられるのか。自分に返ってくるものより、自分の外へ何を生み出せるかの方を考えるようになっていた。
求める側から、与える側へ。
ここで起きていたのは、単に仕事が楽しかったということだけではないように思う。自分の力を何かを生み出すために使いたいという方向へ、意識の重心そのものが移っていた。
ここまで来ると、強みという言葉にも別の側面が見えてくる。強みを持っていることと、その強みを何かのために使うことは同じではない。強みが自分の外へ向かったとき、そこから初めて「貢献」や「成果」という問題が生まれる。
強みは、その人の中にあるのか
しかし、もう一つ考えなければならないことがある。新規開発に夢中になれたのは、私自身の知識や能力だけでは説明できない。そこには会社の環境があり、何より当時の社長がいた。
その人からは、「人生一度きりだから、やりたいことをやらなくちゃ」と何度も言われた。怒っている姿を、私はほとんど見たことがない。新しいことをやろうとすると、だいたい応援してくれた。「社長になっちゃえ」と言われたこともあれば、「若いころの自分を見ているようだ」と言われたこともある。よく笑い、くだらない話も好きだった。細かな仕事の仕方を教えられたわけではない。それでも、この人のために頑張ろうと思えた。
おそらく私は、その人から「やってみてもいい」と思えるものを受け取っていたのだと思う。
実際、経営が変わり、組織の空気が変わると、私は以前と同じようには動けなくなった。別人になったわけではない。それまで身につけた知識や経験が突然消えたわけでもない。それでも、力の出方は明らかに変わった。
強みは、その人の中にある。
しかし、その人の中にあるだけでは、強みは成果にならない。
強みが本人の中だけで完結するものなら、環境が変わっても同じように発揮できるはずである。ところが現実にはそうならない。仕事があり、考える余地があり、任せる人がいて、その力を必要とする相手がいる。そうした関係の中で初めて、個人の力は外へ現れる。
強みとは、個人が単独で所有しているものというより、人と仕事、人と組織、人と人、そして人と社会との関係の中で発揮されるものなのかもしれない。
強みを成果に結びつける
ドラッカーは、人のマネジメントを、人の弱みを矯正することよりも、その強みを発揮させることに置いた。そして組織には、人の強みを仕事へ結びつける役割があると考えた。
自分の経験をそこに重ねると、強みとマネジメントの関係が見えてくる。私の中にあった知識や開発思考は、それだけでは仕事にならなかった。会社の技術、挑戦できる環境、支えてくれる人、そして顧客の必要と結びついたとき、初めて外に価値として現れた。
だとすれば、マネジメントにとって「人の強みを知る」とは、「あなたの得意なことは何ですか」と尋ねることだけではない。その人は、どんな問題に出会うと自分から動き始めるのか。違う仕事をしていても、どのような考え方や動き方を繰り返してきたのか。何をしているときに夢中になるのか。そして、その力を必要としている仕事はどこにあるのか。
人を見ることと、仕事を見ること。その両方が必要になる。
そう考えると、強みとは単に人より上手にできることではないのだろう。得意であることも、好きであることも、その一部ではある。しかし、それだけでは足りない。異なる場面に繰り返し現れる、その人らしい力の使い方があり、その力が仕事や組織、誰かの必要と出会ったとき、初めて外に価値を生み始める。
だとすれば、「自分の強みは何か」という問いだけでは、まだ半分しか問えていない。
もう半分は、
「この力を、何のために使うのか」
という問いなのではないだろうか。
新規開発に夢中になっていたころ、私は自分でも知らないうちに、会社から何を得るかより、自分が何を生み出せるかを考えるようになっていた。強みについて考えていたはずなのに、その先にはいつの間にか「自分の力によって、誰にどのような価値を生み出すのか」という問いが現れている。
では、仕事における「成果」とは、いったい何なのだろう。
次に考えたいのは、その問いである。
参考文献
P.F.ドラッカー『マネジメント【エッセンシャル版】―基本と原則』上田惇生編訳、ダイヤモンド社。
P.F.ドラッカー『現代の経営(上)』上田惇生訳、ダイヤモンド社。
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